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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14766号 判決 1986年12月22日

原告

ステリアノス・クリストドウールー

原告

エバ・シエイン

右両名訴訟代理人弁護士

安倍治夫

被告

株式会社講談社

右代表者代表取締役

野間惟道

右訴訟代理人弁護士

的場徹

伊達秋雄

主文

一  被告は、原告ステリアノス・クリストドウールーに対し金一〇〇万円、同エバ・シエインに対し、金八〇万円及び右各金員に対する昭和五七年一二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その九を原告らの負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告ステリアノス・クリストドウールーに対し金一二〇〇万円、同エバ・シエインに対し金八〇〇万円及び右各金員に対する昭和五七年一二月一六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告らに対し、被告発行の雑誌「週刊現代」誌上に、別紙謝罪広告目録記載の謝罪広告を縦八センチメートル、横五センチメートルの枠囲いで、見出し三倍ゴシック活字、記名宛名二倍活字、本文一・五倍活字を用いて一回掲載せよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第1項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  プロボクシング世界選手権試合の実施及び原告らの判定

昭和五七年四月四日、訴外協栄ボクシングジム(以下「協栄ジム」という。)所属のWBA(世界ボクシング協会)ジュニア・フライ級チャンピオンの渡嘉敷勝男(日本)は、仙台市において、挑戦者ルペ・マデラ(パナマ)との間でタイトル初防衛戦(以下「本件試合」という。)を行い、苦戦の末二対一の判定で勝利を収めた。右試合において、原告ステリアノス・クリストドウールー(以下「原告クリストドウールー」という。)はWBAの委嘱に基づき主審を、原告エバ・シエイン(以下「原告シエイン」という。)は副審をそれぞれ務め、右両名とも渡嘉敷勝男の勝ちと判定した。

2  本件記事の掲載

被告は、書籍、雑誌の出版発行等を業とする株式会社で、週刊誌「週刊現代」(以下「本誌」という。)を発行しているが、昭和五七年五月一五日発売にかかる本誌同月二二日号の三四頁ないし三九頁において、訴外金本安男(以下「金本」という。)の手記の形式で別紙記事目録記載のとおりの記事(以下「本件記事」という。)を掲載した。

3  本件記事による名誉毀損

本件記事の内容は、本件試合の主審又は副審であつた原告らが訴外金平正紀(以下「金平」という。)からいずれも金三〇〇万円で買収されて渡嘉敷勝男に有利な判定をしたというものであるから、これによつて原告らの名誉は著しく毀損された。

4  責任

(一) 訴外鈴木俊夫(以下「鈴木」という。)は本誌の編集人、訴外本間禅英(以下「本間」という。)は本誌の副編集長であつて、いずれも被告の被用者である。

(二) 鈴木及び本間(以下「鈴木ら」という。)は、当時ボクシング興行を主たる営業とする訴外株式会社協栄エンタープライズ(以下「訴外会社」という。)の実質的経営者として注目され、かつ薬物疑惑などで社会的関心の渦中にあつた金平について、そのスキャンダル記事を本誌上に掲載して本誌の販売拡張に資そうと機会をうかがううち、たまたま訴外会社傘下の協栄ジム所属のプロボクサー渡嘉敷勝男が本件試合において苦戦の末小差で勝利を収めた事実があつたことを奇貨とし、この勝利こそ金平が偏頗な判定を得るため本件試合の主審及び副審に多額の賄賂を贈つて買収した結果に外ならないとの虚偽の記事をねつ造したうえ本誌に掲載して反金平的ムードを盛り上げ、これに乗じて同誌の販売成績を上げようと考え、かねてより各週刊誌等を通じて反金平キャンペーンに狂奔していた元訴外会社職員の金本と共謀の上、本件記事をねつ造してこれを本誌に掲載した。

(三) 仮に故意によるねつ造記事ではなかつたとしても、鈴木らは、金本が提供した事実の真偽を充分に確認、検討すべき注意義務があるのにこれを怠り、漫然と同人の供述を信用して本件記事を掲載した過失がある。

5  損害

原告クリストドウールー及び原告シエインは、それぞれ世界選手権タイトル試合を含む国際ボクシング試合のレフェリー又は審判員を数十回に亘つて務めた経歴を有し、プロボクシング界において公正練達なる審判員として令名を馳せている。本件記事はそのような原告らが買収の結果偏頗な判定をしたとするものであるから、当然に原告らの社会的評価を低下させ、原告らに著しい精神的苦痛を与えた。この原告らの被つた精神的損害に対する慰藉料は、原告クリストドウールーについて金一二〇〇万円、原告シエインについて金八〇〇万円が相当であり、また原告らの名誉を回復するためには別紙謝罪広告目録記載の謝罪広告を本誌上に一回掲載する必要がある。

よつて、原告らは、被告に対し、不法行為損害賠償請求権に基づき、原告クリストドウールーにつき損害賠償金一二〇〇万円、原告シエインにつき損害賠償金八〇〇万円及び右各金員に対する不法行為の後の日である昭和五七年一二月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うこと並びに請求の趣旨第二項の謝罪広告を掲載することをそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実は認める。

2  同3の事実は否認する。

3  同4(一)の事実は認めるが、同(二)及び(三)の事実は否認する。

4  同5の事実は否認する。

三  抗弁

1  公共の利害に関する事実

我国におけるボクシング試合の定着とプロボクシングの国民的娯楽としての位置、世界選手権等に対する関心の集中、大規模なマスコミ報道と勝者、花形ボクサーの英雄視等の社会状況、審判の買収行為が反社会性の強い行為であることに鑑みると、本件記事は、公共の利害に関する事実に係るものである。

2  公益目的

本件記事は、ボクシング界の浄化刷新を訴えるという専ら公益を図る目的で執筆、掲載がなされたものである。

3(一)  真実性

本件記事の内容は真実である。

(二)  真実と信ずるについての相当性

仮に本件記事の内容が真実ではなかつたとしても、鈴木らが本件記事の内容を真実と信ずるについては次の事情などから相当な理由があつたものである。

(1) 金本は昭和四三年から同五六年九月まで訴外会社の渉外部長として興行主との折衝、スケジュール作成など同社の中心的な職務を担つていたものであり、訴外伊藤佑一(以下「伊藤」という。)も同五五年一二月から同五七年三月まで同社の経理を担当していたものであり、さらに訴外中村隆(以下「中村」という。)も同五六年一〇月まで協栄ジムのトレーナーを務めていたもので、いずれも訴外会社又は協栄ジムの内情に詳しい地位にあつた。

(2) 被告の本誌編集部記者木内らの取材に対して右三名とも一致して本件記事と同一内容の供述をしたので、鈴木らは、内部事情に詳しい者らの一致供述があるから、金本の供述の信憑性が極めて高いと判断した。

(3) 本件試合の判定結果に対してはマスコミ報道、ボクシング関係者らから意外な判定であつたとの指摘がなされており、判定の公正さに疑いが持たれていた。

(4) 当時金平については別の世界選手権試合において対戦相手に薬物入りオレンジを送つて試合を有利に進めようとしたなどという薬物疑惑がマスコミによつて報道されていたのであるから、薬物工作等まで行つていた金平ならば審判員買収も行つたかもしれないと疑うに足る状況があつた。

(5) 金本らに対する取材過程において、金平は本件試合の審判員買収以外にもコミッショナーに対する審判員変更工作、審判員に対する饗応、接待、贈物などを行つていたとの供述が得られ、これらの供述からすると本件試合の審判員買収の話も自然なこととして信用できた。

四  抗弁に対する認容

1  抗弁1の主張は争う。

2  同2の事実は否認する。

3(一)  同3(一)の事実は否認する。

(二)  同3(二)の事実のうち、

(1)の事実は認める。

(2)の事実は否認する。金本、伊藤、中村らは金平の名声を羨望した反感をもつている者であり、それらの供述は信憑性がない。

(3)の事実のうち、マスコミ報道やボクシング評論家の一部に被告主張のような論評をする者もいたことは認めるが、偏面的な観戦に基づく誤判をしたものである。

(4)の事実のうち、金平について被告主張のようなマスコミ報道がなされていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(5)の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがない。

二本件記事による名誉毀損

ボクシング試合においては判定をする審判員の中立公正さが必須不可欠の前提をなすものであることは言うまでもないところ、本件記事の内容は審判員である原告らが金三〇〇万円で買収されて偏頗な判定をしたというものであるから、原告らの職務上の不正を指摘するものであり、これによつて原告らに対する社会的評価は当然に低下するものと推認され、したがつて、本件記事は原告らの名誉を毀損する内容のものと認められる。

三本件記事の違法性

1  公共の利害に関する事実

<証拠>によれば、現在我国ではプロボクシングが多数のボクシングファンによつて幅広く支持されており、とりわけその世界選手権タイトル試合は多数のマスコミ媒体を通じて全国的に報道されて社会的関心の的となつており、プロボクシング自体が健全公正な審判を当然の前提とするスポーツないし国民的娯楽として社会に定着していることが認められる。しかるに本件記事は前記のとおり審判員の買収を内容とするものであつてその買収行為自体が極めて反道義的なものであるほかプロボクシングが前提とする健全公平な試合との印象を著しく傷つけて多大な社会的関心を呼ぶことは容易に推測されるところであるし、また本件記事の摘示事実はスポーツの公正な運営という社会的要請の根本に係るものであるから、公共の利害に準ずる事柄に関するものというべきである。

2  公益目的

<証拠>によれば、本誌の編集人鈴木俊夫及び副編集長本間禅英は、後記認定のとおりマスコミが金平の薬物工作等の疑惑を報道して多大な社会的反響を呼んでいるなかで、金平側の内部関係者金本らの告白に基づいてその真相を究明して右の社会的関心に応えようとする目的で本件記事を掲載したことが認められる。したがつて、本件記事の執筆、掲載はスポーツの公正な運営という公益に準ずる社会全体の利益を図る目的で行われたものと認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  真実性

<証拠>(本件記事)中には、本件試合前のある日協栄ジム二階の事務所で原告らを買収するための買収金額について金平が議論していたのを耳にしたある関係者から金本がその旨の話を聞いた旨の記載があり、成立に争いのない乙第三二号証及び証人金本安男、同中村隆及び同渕脇常弘の各証言中には、右買収に関する議論を直接聞いたのは協栄ジム所属のボクシング選手訴外古口哲であり、同人から渕脇、伊藤、中村、金本へ順次右買収に関する議論の事実が伝達された旨の右本件記事に符合する記載ないし証言があるけれども、右買収に関する議論の事実のみをもつて原告らが本件試合の判定に関して本件記事のごとく具体的に買収されたことを推認することはできず、他に本件記事の摘示事実が真実であることを認めるに足りる証拠はない。

4  真実と信ずるについての相当性

(一)  被告は(1)情報提供者金本らの内部告白、(2)本件試合の判定結果の意外性、(3)金平に対する薬物工作等の疑惑報道及び(4)他試合における金平と審判員の癒着などから本件記事の内容を真実と信ずるについて相当な理由があつたと主張するので、以下順次検討を加えていくこととする。

(二)  情報提供者金本らの内部告白

<証拠>を総合すれば、金本は金平経営のボクシング興行会社である訴外会社において昭和四三年から同五六年九月まで渉外部長の職にあり、興行主との折衝、スケジュール作成など同社の中心的な職務を担つていたこと、そのように内情を詳しく知りうる地位にあつた金本が取材の結果本件記事と同一内容の供述をしたので鈴木らがこれを録音再生して文章化したうえで内容を金本に確認させてから同人の手記の形で本件記事を作成したこと、鈴木らは、本件記事作成については、昭和五五年一二月から同五七年三月まで訴外会社の経理を担当していた伊藤にも一度金本と同席させて金本供述の真実性を確認し同旨の供述を得たこと、また、鈴木らは同五六年一〇月まで協栄ジムのトレーナーを務めていた中村にも取材し金本供述と同旨の供述を得たこと、その結果鈴木らは、内情に詳しい三名の一致供述であるのでその信憑性が高いと考えて本件記事の掲載に踏み切つたことが認められる。

しかしながら、<証拠>を総合すれば、金本は昭和五六年九月に訴外プロボクシング選手具志堅用高の引退に伴う事業縮小のため金平から芸能プロダクションに移るよう言われて断わつたところ金平から訴外会社を解雇されており、同じく同年一〇月ごろ協栄ジムのトレーナーを辞めた中村と共に、金平に対して恨みを持つていたこと、伊藤は週刊誌「週刊文春」の取材に応じて薬物工作等の疑惑情報を流したのではないかと金平に疑われたため同五七年三月ころに訴外会社を解雇されており、金平に対して良い印象を持つていなかつたことが認められる。このような恨みなどを持つ内部告白者の場合には、その供述の中には虚偽の事実や単なる憶測などが含まれやすいと予想されるのであるから、単に内部事情に詳しい者らの告白であるというだけで高い信憑性があると判断するのは相当ではないものというべきである。また前記認定のとおり、本誌編集部が金本らから取材したのは、本件試合前のある日に古口が協栄ジム事務所において金平がこれから審判員を金三〇〇万円で買収しようと相談しているのを耳にし、これを同僚選手の渕脇に話し、その渕脇を通じて伊藤、中村、金本へと順次伝達されていつたというのであるから、伊藤、中村及び金本の一致供述があつたとはいつても結局情報源は一つにすぎない。また右の伝聞内容は金平による審判員買収の相談がなされていた事実にすぎないのであるから、右の伝聞供述が他の金平に関する情報とあいまつて何らかの事実を推認させうるとしても、それがたかだか金平が原告らに現金受領を申込んだかもしれないという程度の推認にとどまるならともかくとして、それを超えて右伝聞供述を根拠にして原告らが現実に金員受領を承諾して偏頗な判定を行つたという点までをも推認することは相当ではないものというべきである。

(三)  本件試合の判定結果の意外性

<証拠>によれば、昭和五七年四月五日付東京新聞は「意外な判定渡嘉敷初防衛」なる見出しを掲げてはいたものの、リングサイドで見ていた元世界チャンピオン三名の見方として「渡嘉敷は悪くてもドロー。負けはない。」(西条正三氏)、「マデラが二ポイント勝つていた」(ガッツ石松氏)、「渡嘉敷のワンサイド負けだと思つた。採点の結果が出てあぜんとして、開いた口がふさがらない。」(白井義男氏)などの異なる談話を紹介したうえで「微妙な判定であつた」との記事を掲載していたこと、同日付読売新聞は「きわどい判定で辛勝」なる見出しのもとで「判定については見る人によつて議論の分かれるところである。」との記事を掲載していたこと、同日付日本経済新聞は「マデラは終始攻勢のように見えたが、渡嘉敷は挑戦者のパンチをヒジで有効にブロックしていた。有効打においても、渡嘉敷のカウンターパンチがさえていたと思う。」との原告クリストドウールーの話を紹介したうえで「判定についてはいろいろな見方があるだろう。」との記事を掲載していたこと、同日付中日新聞は「渡嘉敷Vにア然」「評論家『判定おかしいなあ』」なる見出しのもとで「リングサイドの評論家はほとんどがマデラの勝利を信じていた。」としたうえで中部日本放送及び中日新聞に判定に対する抗議電話が殺到した旨の記事を掲載していたこと、同日付スポーツニッポンは「渡嘉敷ヒヤリV」なる見出しのもとで王者(渡嘉敷)の気力勝ちである旨の同紙評論家の見方を紹介しつつ、前記白井義男氏の見方及び中継したTBSの具志堅用高氏が大差でマデラの勝ちと解説したことが抗議電話に拍車をかけたとの記事を掲載していたこと、以上の事実が認められる。右の認定事実によれば、本件試合直後のマスコミの論調はボクシング評論家の意見と同様、判定結果に積極的に疑問を呈するものと判定結果を支持しつつ微妙な判定であつたことを指摘するものとの二つに分裂していたというべきであり、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがつて、このように分裂していたマスコミ報道等をもつて、本件試合の審判員が買収されていたと推認する根拠の一つとすることは、相当でない。

(四)  金平に関する薬物工作等の疑惑報道

<証拠>を総合すれば、週刊誌「週刊文春」昭和五七年一二月一一日号は、前全日本ボクシング協会々長で協会ジム会長の金平がWBA世界ジュニア・フライ級チャンピオンで協栄ジム所属の訴外具志堅用高の世界選手権防衛試合及び渡嘉敷勝男の世界ランキング獲得試合の際極秘裡に対戦相手の食事、果物に特殊な薬物を混入して試合での体力を消耗させるという不正工作を行つた旨の記事を掲載し、その後も右「週刊文春」は翌年四月八日号まで五回に亘つて金平の薬物工作、脱税等を内容とする記事を連載したこと、その間同年三月七日付読売新聞は薬物工作の対象となつた韓国の金選手が当時オレンジを食べた後に体調が悪くなつた旨の同人の談話記事を掲載したこと、同年三月一一日付サンケイ新聞は対戦相手の宿泊ホテルのコック長が金平の指示でステーキに薬物を混入した旨の告白記事を掲載したこと、同年三月一四日付東京新聞は金平の指示により薬物工作を実行した旨の金本の告白記事を掲載したこと、同年三月一八日付朝日新聞は金平に薬物工作を依頼された旨の訴外西出兵一の告白記事を掲載していたこと、これらのマスコミによる薬物疑惑報道を受けて日本ボクシング・コミッション(JBG)では「ボクシング健全化対策特別委員会」なる諮問機関を設置し、同委員会は同年三月一八日右薬物疑惑を理由に金平に対しライセンスの無期限停止を決定したこと、以上の事実が認められる。

しかしながら右薬物疑惑報道はいずれも金平が相手方の了解を必要とせずに一方的に行動しうる事案に関するものであるから、仮に右疑惑報道が本件の審判員買収に関して何らかの推認根拠になりうるとしても、それが金平なら審判員買収の工作をしかねないという程度の推認にとどまるのならともかくとして、それを超えて右薬物疑惑報道を根拠にして原告らが現実に金員受領を承諾して偏頗な判定を行つたという点までを推認することは相当ではない。

(五)  他試合における金平と審判員の癒着

<証拠>を総合すれば、鈴木らは、金本、伊藤及び中村の取材経過において、金平が本件試合以外においても審判員に対する買収、贈物、飲食の接待、特殊浴場での接待を行つたり、試合中に密かに判定経過を不正入手したりしていたとの情報を得ていたことが認められる。しかしながら、右の情報源は金本、伊藤及び中村であつて金平との前記感情的対立状況からみてその供述の信用性には疑問もない訳ではなく、仮にそれが真実であつたとしても本件の買収は別個の原告らを相手方とし、かつ相手方の承諾を必要とする行為なのであるから、右の他試合における金平と審判員の癒着をもつて本件の原告らの買収を推認することは相当ではないというべきである。

(六) 以上、鈴木らが本件記事を真実と信ずるについて相当な理由があると主張する根拠について検討してきたが、いずれも本件原告らを金平が買収したことを推認する根拠としては十分ではなく、またそれらの各根拠を総合しても右事実を推認することが合理的であるとはいえない。他に右事実を推認することが合理的であることを認めるに足る証拠はない。

本件のような雑誌の編集人ないし記者としては、記事の真実性を担保し、内容の公正さを保つためには対立当事者から可能な限り取材する努力を惜しんではならないのはいうまでもないところであつて、このことは、本件記事のように内容において掲載の迅速性を必要とするとも認められない種類の記事を掲載するにあたつては特に要請されるものというべきである。とりわけ前記認定によれば鈴木らが本件記事掲載に際して主要な根拠とした金本、伊藤及び中村の各供述は、同人らが直接体験した事実ではなくて古口及び渕脇を通じて順次伝達された伝聞事実だというのであるから、右伝聞経路の根幹部分にあたる古口及び渕脇に対する取材ないしその最大限の努力は、本件記事掲載に際して必須不可欠の前提をなすものというべきである。また対立当事者である原告らに対する取材についても、形式的にその取材結果を対比掲載すれば真実と信ずるについて相当な理由があることになるとか、本件記事の不法性が阻却されるものでもないが、原告らが海外在住で必ずしも連絡が容易ではないとはいえ国際的通信手段が発達している今日その取材が全く不可能とは予想されないのであるから可能な限りの努力をすべきであり、原告らに対する取材ないしその最大限の努力もまた必須不可欠の前提をなすものというべきである。

しかるに<証拠>によれば、鈴木らは、金平、古口及び渕脇に対して連絡を取ろうとはしたものの、具体的な連絡の能否は取材記者任せにしており、粘り強い取材申込をすることもなく結果として取材をせずに、また原告らに対しては全く取材申込をせずに本件記事の掲載に踏み切つたものであり、このような安易な取材、編集経過に鑑みると、鈴木らは、不充分、不完全な資料に基づいて本件記事を掲載したというほかなく、編集人又は副編集長として必要な注意義務を怠つたものであつて、本件記事の内容を真実と信ずるについて相当な理由があつたということはできない。

四責任

1  請求原因4(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  同4(二)(故意による記事ねつ造)の事実については、これを認めるに足りる証拠はない。

3  同4(三)(過失)の事実については、前記認定のとおり、鈴木らは、本件記事の掲載について編集人又は副編集長として必要な注意義務を怠つたものと認められる。したがつて被告は被用者である鈴木らが事業の執行につきなした本件記事の掲載によつて原告らの被つた損害を賠償する責任がある。

五損害

1  <証拠>を総合すれば、原告クリストドウールーは南アフリカ共和国に在住し、約二三年間に亘つて多数のボクシング試合の主審又は副審を務めて現在は同国ボクシング協議会々長をしている国際的ボクシング専門家であり、特に世界選手権タイトル戦では主審を三二回、副審を六回務め、日本においても本件試合を含めて四回の世界選手権タイトル戦の主審をした経歴を有すること、原告クリストドウールーは本件試合以後は日本において主審又は副審を委嘱されてはいないが、アメリカ合衆国など世界各国では世界選手権タイトル戦の主審又は副審を一三回務め現在もなお活躍中であること、原告シエインはアメリカ合衆国在住の国際的ボクシング専門家であり、約一三回の世界選手権タイトル戦の審判員を務めているが、本件試合以後は日本における審判員は委嘱されてはいないこと、以上の事実が認められる。これらの事実及び本件記事の内容を総合すると、原告らが本件記事によつてボクシング専門家としてその社会的評価を傷つけられ相当な精神的苦痛を受けたこと、特に本件記事において実名を掲げられた原告クリストドウールーの精神的苦痛が大きいことを認めることができる。しかしながら前記認定によれば原告らは主として南アフリカ共和国又はアメリカ合衆国で居住、生活しており、日本においては数回ボクシング試合の審判員を務める程度であつて日本との関わり合いが少ないこと、本誌は主として日本国内で販売、購読されていること、本件記事は金平の不正を糾弾する目的で書かれていて、原告らを直接の矢面にしていないこと、弁論の全趣旨によれば原告らはいずれもその被つた損害を立証するために本法廷へ出頭することに難色を示して出頭して来なかつたこと(本人尋問不申請)が認められ、これらの事実及び前記認定の諸事情を考慮すれば、原告らの被つた精神的苦痛を慰藉するためには、原告クリストドウールーにつき金一〇〇万円、原告シエインにつき金八〇万円をもつてするのが相当であると認める。また、右認定の諸事情に照らすと、原告らの請求するような謝罪広告を掲載するほどの原告らの名誉低下や精神的苦痛があつたとは認められない。

六結論

よつて、原告らの本訴請求は、原告クリストドウールーにつき金一〇〇万円、原告シエインにつき金八〇万円及び右各金員に対する不法行為の後の日である昭和五七年一二月一六日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき民訴法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官鬼頭季郎 裁判官生田瑞穂 裁判官齊木教朗)

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